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皆さん、こんにちは丸安毛糸の中谷です。

先日、少し季節外れかもしれませんが、友人達とBBQを行ってきました。

天気もよく、愛犬も元気に走り回っていました。

上の写真は、その時の1コマです。

ところで、今、マリアントワネット展が開催されていますが、彼女のイメージというと放漫で悪い女性というのが思い浮かびます。

しかし、調べてみるとファッションとの繋がりや意外な一面もあったので、今回のブログでご紹介したいと思います。

目次

  • 目次1 マリー・アントワネットの生涯
  • 目次2 マリ―・アントワネットとファッション
  • まとめ

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その1 マリー・アントワネットの生涯

1755年11月2日に、ローマ皇帝フランツ1世とオーストリア女大公マリア・テレジアの十一女としてウィーンで誕生しました。

オーストリア宮廷は家庭的で、幼い頃から家族揃って狩りに出かけたり、バレエやオペラを観覧したりしていました。

当時のオーストリアは、プロイセンの脅威から伝統的な外交関係を転換し、フランスとの同盟関係を深めようとしていました。

その一環として母マリア・テレジアは、自分の娘とフランス国王のルイ15世の孫ルイ・オーギュスト(後のルイ16世)との政略結婚を画策したそうです。

1763年、結婚の使節としてメルシー伯爵がフランスに派遣され、ルイ・オーギュストの父で王太子ルイ・フェルディナンと母マリー=ジョセフ・ド・サクスが、結婚に反対したため交渉は進まなかったそうです。

しかし翌年、父のルイ・フェルディナンが死去した事もあり、ようやくルイ15世からマリア・テレジアへ婚約文章が送られました。

1770年、マリア・アントニーアが14歳の時、王太子となっていたルイとの結婚式が、ヴェルサイユ宮殿にて挙行され、マリア・アントニーアはフランス王太子妃マリー・アントワネットと呼ばれるようになりました。

マリー・アントワネットとルイ16世の夫婦仲は良かったといわれ、結婚7年目には待望のマリー・テレーズ・シャルロットが生まれます。

当時、パリのオペラ座で仮面舞踏会に遊び、賭博に熱中していたと言われますが、反面、自らの為の城を建築したりはせず、宮廷内の貧困に有る者へカンパを募ったり、子供へはオモチャを我慢させたりと、母親としての面も持っていたそうです。

1774年には、ルイ16世の即位により、フランス王妃となりました。

王妃になった彼女は、当時のベルサイユの習慣や儀式を廃止、緩和を進めましたが、特権を奪われた人々から反感をかってもいました。

そして1789年、フランスで王世に対する民衆の不満が、爆発して革命が勃発することになります。

国王一家は、庶民に化けてパリを脱出を試みましたが、国境近くで身元が発覚して拘束されてしまいました。

1793年、夫のルイ16世は死刑判決により斬首され、彼女も同年、10月16日、パリのコンコルド広場において斬首されました。

38歳の人生、平穏な時が少なかったかもしれませんが、夫のルイ16世を、献身的に最後まで支えていたというのが意外でもありました。

その2 マリー・アントワネットとファッション

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当時の貴族女性は、周りが驚くようなヘア・スタイルを競っていた時代にありました。

マリー・アントワネット自身も王妃になって間もなく、ローズ・ベルタンという新進のファッションデザイナーを、重用するようになったそうです。

そのローズ・ベルタンのデザインするドレスや髪型、宝石類はフランス宮廷のみならず、スペイン、ポルトガル、またロシアの上流階級の女性たちにも流行することになりました。

その流行の中心にいた人物が、マリー・アントワネットであり、周りから垂涎の眼差しでみられていたようです。

特に女性たちの視線を集めたのが髪型で、当初は顔の1.5倍程度の高さの盛り髪スタイルが、徐々にエスカレートし飾りも草木をつけたり、船の模型を載せたり等、革新的なスタイルで周囲の目を惹きつけていたようです。

このように自分を表現する事で、マリー・アントワネットのファッションリーダーとしての誇りや威厳をみせていたと思います。

まとめ

マリー・アントワネットについて調べてみて、平穏な時間が少ない人生の中でも、精一杯生きてきたんだなと感じました。

時代が変わっても、そういう姿勢には共感出来る事も多く、歴史の中の人々に興味を持つことは大切だと思いました。

今後もファッションをキーワードに歴史について調べてみて、皆さんにご紹介できる機会があればとも思います

それでは次回また。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日の休みには

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中谷 恒夫

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記事を書いた人

1970年11月30日生まれの いて座
プライベートの時間は 愛犬のクリーム(キャバリア)と一緒に過ごしています

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