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ラブアン1

過ごしやすい季節になりましたが、陽射しが強く特に左頬に陽が当たり痛いのは私だけでしょうか?

こんにちは。頬を守る為、最近は日傘が手放せない小柳です。

前回のブログにゴールデンウィークにブルネイに行ったことを少し書かせていただきましたが、滞在中にブルネイからフェリーで約1時間ほど行った所にマレーシアの「ラブアン島」という島があり、第二次世界大戦で亡くなった戦没者を慰霊する公園があることを知り足を延ばしました。今回はそのことについて書かせていただきます。

 

目次

  • ラブアン島とは
  • ラブアン島と日本の歴史
  • 平和公園(タマン・ダマイ)
  • 最後に

 

 

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ラブアン島とは

ラブアン島はマレーシア東部サバ州南シナ海の沖合に浮かぶ、サンゴに囲まれた美しい島です。

ラブアンとはマレー語で「停泊地」を意味し、ブルネイ国、イギリスによる統治や、戦時中は日本軍によって「前田島」と呼ばれた時代もありました。

八丈島よりも少し大きいくらいで、治安も安定しています。免税特区なのでブランド化粧品やお酒などを安く買うことが出来る島です。

 

ラブアン島と日本の歴史

ここは第二次世界大戦において日本軍が公式に降伏した場所です。

第二次世界大戦中、1941年12月から1945年6月まで、日本軍北ボルネオ第37軍の占領下におかれていました。日本の占領中、ラブアン島は初代北ボルネオ司令官であった前田利為中将にちなみ、「前田島」と改称されたそうです。

1945年6月10日、連合軍が100隻の警護艦とともに島に上陸。オーストラリア軍第9師団が、空と海から激しい爆撃を行い日本軍は無条件降伏することとなりました。

調印式は連合軍が上陸してから3ヵ月後の1945年9月9日に、オーストラリア軍第9師団司令官、ジョージ・F・ウッテン少将の主宰と立会いの下に行われ、日本軍37軍司令官、馬場正郎中将が降伏文書に署名しました。

1945年までの2年間、この場所はオーストラリア軍第9師団の司令部と英領ボルネオの連合軍司令センターになっていました。またここには戦争中の残虐行為を取り調べるための収容所があり、戦争法廷がここで定期的に開かれ、戦争犯罪の疑いのある日本軍人たちが裁判にかけられました。

 

平和公園(タマン・ダマイ)

第二次大戦中ボルネオ地域及びその海域で戦没されたすべての人々を慰霊するとともに、戦争の恐ろしさを忘れず、二度と戦争が起きないことを願って建設されました。マレーシア各地に第二次世界大戦の犠牲者を悼むメモリアルパークがありますが、いずれもイギリス、オーストリア、ニュージーランドの戦没者のもので、現マレーシア領内で日本政府によって建てられた慰霊碑があるのはここラブアン島の平和公園だけだそうです。(コタキナバルの日本人墓地内にも小さな慰霊碑はありますが)

 

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「このラブアン平和公園は、さきの大戦中ボルネオ地域及びその海域で戦没されたすべての人々を慰霊するとともに、世界の恒久平和を祈念し、日本とマレイシア両国の友好親善の広場となることを願って建設されたものである。

この建設にあたっては、マレイシア国政府、サバ州政府ラブアン市及び日本政府の協力と、特に財団法人日本船舶振興会(会長笹川良一)から多大の補助金の交付を受け、また遺族関係団体、戦友関係団体企業などからも格別の援助を受けて完成したものである。」

(公園入り口の説明より)

 

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敷地内ははきれいに整備されていて、日本庭園もありました。

 

○ ボルネオ戦没者の碑

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さきの大戦においてボルネオ地域およびその周辺海域で戦没した人々をしのび平和への思いをこめてこの碑を建立する。」と書かれています。

 

○ 平和塔

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「この塔は第二次世界大戦中この地で戦闘に斃れていった兵士たち、そして非命に果てた市民への慰霊と平和への願いをこめて建立されたものである。この人たちの至誠と犠牲を永く伝え、二度とこの地が悲惨な戦いの場とならぬよう願いをこめて。」と書かれています。

 

○ 日本軍降伏地点

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ここは第二次世界大戦において日本軍が公式に降伏した場所です。戦争中の残虐行為を取り調べるための収容所があり,戦争法廷がここで定期的に開かれ、戦争犯罪の疑いのある日本軍人たちが裁判にかけられました。

 

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平和公園と降伏地点の前には静かなビーチが広がっていました。

 

一部写真はこちらからお借りしました。

 

最後に

目の前にはビーチが広がり、穏やかな空気が流れる平和公園。当時の戦場の方々の写真をみたり、「平和」という言葉を目にするたびに、この公園のような穏やかな世界であってほしいと思いました。今は、世界のどこかで、自爆テロや弾道ミサイルなど脅威を及ぼし、人の手で人を殺めている世の中です。なんで?っと思うニュースが世界各地から届きます。。世界中の方が安心して眠りにつけるような世の中であってほしいと切実に思います。

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小柳 美代子

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記事を書いた人

こんにちは。自由と自然を愛する事務の小柳です。
いつかは放浪の旅をしたいっ!です。

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