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今回は横須賀港のいずもをバックに!(内容とは一切関係ありません!)

今回は皆様にはお馴染みのデニムについて歴史を紐解いていきましょう!

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デニムの起源

デニムの起源はアメリカの鉱山労働者が作業中にズボンがすぐに擦り切れてしまう事から頑丈で傷まないズボンを求めた事から始まりました。

               幌馬車 引用元https://pixabay.com/ja/photos

1870年頃それを聞いたヤコブデービスと言う人物が馬車の幌のキャンバスを売買していたリーバイストラウスから生地を仕入れ、ズボンを作る事を思いつきました。その際に生地の硬さから馬具であったリベットを用いたワークパンツを作った事が始まりです。(その後両社で特許取得)その形にはベルト通しは無くサスペンダー用に釦と後部にストラップとバックルが付いてあり絞る形でした。これがのちのすべてのデニムの原型と言われるリーバイス501の原型です。ただその時代はまだキャンバス地は染めてはおらずに青くは無く生成でした。
         リーバイス501  引用元 ジーンズ 501の色落ちまとめ

ではその後何故デニムは青くなったのでしょうか?

時はゴールドラッシュのアメリカ、鉱山労働が非常に盛んな時代です。
鉱山労働とは害虫、毒蛇の多い環境で作業を行います。その為に防虫効果、蛇避け効果が有り、ヨゴレの目立たないと言われる天然藍でキャンバスを染める事を思いついた事からブルーデニムとなりました。
1940年代にはほぼ現在と同様のデザインとなり1950年代のマーロンブランド、ジェームスディーンの映画でのデニムの着こなしから若者の象徴として定着していきました。

日本のデニム

この様な期限を持つデニムですが、日本にはどういう風に入ってきたのでしょうか?
当初軍用放出中古品を扱うアメ横(闇市)から徐々にデニムは広まりましたがロカビリー、GSブームがきっかけで若者に一気に広がりました。
また国産では1958年に倉敷のマリオ被服(ビッグジョン)が初めて生産を開始しました。
またマリオ被服ワンウォッシュという現在の生産に非常に重要な技術を開発し世界中に広がりました。
現在も岡山が国内のデニム生産のNO,1となっています。ちなみにジーパンとは?G.I(アメリカ軍人)が履いていた事からGパンと呼ばれ始めたんですよ!
                 BIG JOHN 引用元 ビッグジョンジーンズ

インディゴ染め

染料については天然藍と石油から作られる成分が天然藍と全く同じのインディゴ染料と分けられます。
1910年代から既に天然は無くなり合成インディゴ染料が主流となり大量生産が可能となりました。

      天然藍  引用元https://www.yokosuka-jeans.com/blog/jeans/indigoblue.html

     合成インディゴ染料 引用元 https://www.yokosuka-jeans.com/blog/jeans/indigoblue.html

染色方法はロープ染色と言う方法がとられています。これはロープ上に束ねられた糸が巻き取られる過程で染料に浸され空気に触れる事で酸化し発色します。糸の中心は染まらず表面に染色をする方法です。
     ロープ染色 引用元 https://www.yokosuka-jeans.com/blog/jeans/indigoblue.html

この中白の糸を経糸に白糸を緯糸としてデニムは織られています。
この為に着用する事で表面が削られ中心部の白色が現れます。これがデニム独自の色落ち、ひげ、アタリの正体です。

この業界にいて昔から不思議なのですが他の素材では色落ち、縮みなどの物性に関しては日本はとても非常に厳しい国(多分世界一)なのになぜデニムだけは皆さん許容して頂けるのでしょうか?今回色々と調べてみましたが、この件だけは答えが出ませんでした。

如何でしたでしょうか?皆様必ず一着は持ってられますよね?お馴染みのデニムはこの様な歴史を経て現代に通用するファッションアイテムとして残ってきたのです!

ではまた!

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