世界、日本のニットの歴史を深堀り
- 編み・柄
- 投稿日:
- 2020/10/16
- (更新日:2020/10/15)
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今年は夏が熱かった為か?私は秋が非常に寒く感じています。
皆様如何お過ごしでしょうか?
私は季節に関係なく相も変わらずお休みは、年甲斐も無く自転車で走り回っており、自分の体力に変な自信(?)を深めております。写真は先月に一年ぶりに自走で行った本栖湖からの富士山です。ちょうど一年前も同じ場所からの写真をアップさせて頂きました。写真の出来なら今年のほうが良いですかね?
ところで今回はニットの歴史という事で、今では万人に身近なニットの世界での起源、また日本にいつ入って来たのか?を深堀したいと思います。
ニットの起源
ニットの起源は、遥かシリアの古代遺跡、エジプトの遺跡からカギ針で編んだ帽子や靴下が見つかっています。
編み物(ニット)は始め羊毛生産の盛んなヨーロッパに4~5世紀に広まりました。
ヨーロッパは気温が低い為、温かい羊毛は必需品となり自然に広がったと言われています。
勿論手編みでしたが、11~14世紀には2本棒針が出来、編み物はヨーロッパの文化として広まりました。
14世紀以降には上流階級や中世の騎士の間で靴下や手袋が人気となります。
その後ギルドという編み物の職人の組合が出来るまでになり、修行6年を経て初めて編み物師としての資格が与えられました。またその時代の編み物師はほとんどが男性でした。
自動編み機の発明
ヨーロッパでは1800年代後半には自動成型機であるフルファッション編み機が発明され、大量生産が可能となって行きます。
<フルファッション編み機<>
現在はフルファッション編み機は旧型となり、小型の編み機が主流となっています。
ただこのフルファッション編み機はヨーロッパはもちろん、日本にも現存しており、現役で稼働している物も有るんですよ。(海外有名ブランドなどが現在も使用しています)
日本にニットの起源
日本にはニットはいつ頃入ってきたのでしょうか?
もともと羊は日本にはいない動物であり、衣類は織物しかなかった日本ではニット(編み物)が入ってきたのはずいぶんと遅かったのです。
江戸時代直前の1600年前後にポルトガル人やスペイン人により手編みの手袋や靴下が入ってきたとされており、南蛮貿易の文献にメリヤスという言葉が見られます。
現存するものとしては、水戸藩主の徳川(水戸)光國が着用していたという絹や綿の靴下が最も古いとされています。(皆さん!あの黄門様ですよ~!)
その後徐々に手編みは庶民にも広がり足袋、手袋、印籠下げ、襦袢、股引などに普及していきました。
この時の手編みに担い手は、小禄の武士や浪人などの手仕事(内職)だったんですよ!
国内ニットの近代化
明治時代に入るとメリヤス(編み物)は<莫大小><目利安>と書かれ、徐々に大衆化していきます。
その後初めて国内で機械編み機が海外編み機を模倣し作られました。
それを機に機械編みは急速に普及し、明治8年には機械編みの靴下が初めて清(現中国)に輸出されるまでになり、日清日露戦争の軍事品生産を中心として、急速にメリヤス産業が発展していきました。
その後大正時代には、靴下、手袋、肌着などから高級品まで生産されるまでになり、世界各国に輸出を伸ばします。第一次大戦後にはヨーロッパの水準に追いつくまでにメリヤス産業は発達しました。
その頃には、女性の社会進出が進み、レディスファッション市場が賑わいカーディガン、ニットが大流行しました。そのころのセーターは手横と呼ばれる手動編み機で編まれたものが主流でした。
<手動編み機)
家庭編み機の誕生
さらに1954年にブラザー工業より家庭用編み機を発売し、既製品が高価だったことも有り、広く普及し、各家庭でセーターが編まれるようになりました。(私の子供の時も、兄のお古の手編みのセーターを解き、私のセーターを編んでもらってたもんです!)
<家庭編み機>
その後の日本は、高度成長期を迎え、手編みのセーターの重要度は下がり、既製品が一般的となっていきます。そして現代まで続いて行きます。
今では当たり前に来ているニットもこのように長い歴史が有ったんですね~!
これからはもっと、ありがたみを感じながら着用してみます!
ではまた!
画像引用元 https://ameblo.jp/knitlabo/entry-11731431552.html
bushoojapan.com/tomorrow/2019/02/10/94340
https://news.merumo.ne.jp/article/genre/6413198
http://blog.livedoor.jp/reunion253/archives/52071442.html