丸編み(カットソー)の歴史
- 基礎講座
- 投稿日:
- 2020/11/13
- (更新日:2020/11/10)
最近はすっかり冬めいてきて、朝晩は冷え込む日が増えてきましたが、皆さんは体調を崩されていませんか?
毎朝の愛犬の散歩も、寒さに弱い愛犬が二の足を踏む中を連れて出る事が増えてきました(寒さに弱いんですよね・・・笑!)
ところで前回は、横編みの歴史について振り返りましたが、今回は丸編み(カットソー)の歴史について振り返りたいと思います。
肌着から始まっており、ベビー服にも多用されますので、皆さんには横編みニットよりも昔から身に着けて来られているので身近な存在かもしれません。
日本での丸編みの起源
日本に初めて丸編み機が輸入されたのは明治42年(1909年)にスイス製の丸編み機が和歌山に5台輸入された事が最初と言われています。
戦時中
大正時代には第一次世界大戦時の軍用靴下として注目され、その後は伸縮に富む事から素材に次第に靴下、肌着などの用途に広がって行きました。
軍用靴下
和歌山産地
最初に和歌山に輸入されたことから、和歌山県下に編み機が広がりピークには80数社、編み機4000台を誇り、産地として機能し一大産業として認知されました。。(現在でも丸編みと言えば和歌山が上がります)
吊り編み機
この時代の丸編み機は吊り編み機と呼ばれる形式で通称<吊り天>と呼ばれ、非常に希少な生地が編めます。
吊り型丸編み機(吊り天)
メリヤス肌着
メリヤス肌着からジャージー
昭和30年代頃までは綿のメリヤスの肌着用途がほとんどであったのですが、その後 <ジャージー>と呼ばれる合繊メリヤス生地が開発されました。
その合繊メリヤス生地は婦人服を始め、スポーツ衣料、子供服などの様々なジャンルで大ブームとなり、広く <ジャージー>は普及していきました。
ただ丸編みの業界としては昭和48年のオイルショックで綿糸価格が1/3となり生産量は3割減り、他業界同様に大打撃を受けてしまいました。
その後現代まで紆余曲折を経て、価格の下落、グローバル化から繊維業界の産業構造が変わり、海外から安価な輸入品が市場を席巻しており現代に続きます。
ただし現在でも和歌山はカットソー産地として機能し、多品種小ロットを可能とし、製品の差別化を行い、海外の展示会に出展したりとグローバルな活動を行っています。
先程吊り編み機という言葉が出てきましたが、現代でもこの吊り編み機だけの工場も和歌山には稼働しています。1時間に1Mというと非常に効率の悪い(現在のシンカー型では1時間に15M)編み機ですが、その為に伸縮の良い、凹凸のある、洗ってもくたびれない生地を編む事が出来ます。(破裂強度が通常編み機の倍有ります)現代はその独特の風合いを求めるデザイナーさんたちから吊り編み機は引っ張りだことなっているんですよ!
以上今回は丸編みの歴史についてご紹介しました。
まとめ
横編みと丸編みは同じニットの仲間ですが、一点一点編んでゆく横編みと、生地を作り裁断から進めて行く(布帛に近い工程)丸編みとは全く製品の生産工程が違うのも、面白い点です。
丸編みは大規模は設備が必要となる為、歴史は横編みに比べると浅いですが、横編み製品との住み分けが出来ており、存在価値のある物はこれからも残っていくと言えると思われます。
では今回はこの辺で!
最後まで見て頂き、有難うございました。
画像は以下より引用させて頂いています。
https://www.lalabegin.jp/article/12469/2/
http://www.city.wakayama.wakayama.jp/1016047/1018927/1018633/1018646/1018647.html
http://blog.livedoor.jp/mukashi_no/archives/47617959.html
https://marumura.exblog.jp/23248336/