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皆さんこんにちは、丸安毛糸の中谷です。

写真は、先日2ヶ月ぶりに出張へ行った時の福建省。

日本より気温も高く、日中は37〜38℃もあり外へ出ると肌がチクチクとする程でした。

そんな福建省でしたが、少し郊外に車を走らせるだけで、

こんな田舎の風景に包まれ、時間がゆっくりと流れているな~と感じられます。

そして、この暑くなる時期になると思い出すのが、もう5年前になりますが、

7月21日が命日の、母との思い出です。

手編みや鉤針が大好きだっった母

手編みや鉤針を編むのが大好きだった母。

簡単にですが母の生い立ちを、話ししたいと思います。

1938年(昭和13年)名古屋で、4人兄妹の長女として生まれました。

戦時中、広島へ原爆が落ちた際は、疎開先だった広島郊外から名古屋へ、

家族と戻っている時だった為、幸いにも被害はなく済んだと、言っていました。

その後、中学生になった頃に、母親(私の祖母)が好きだった影響で

自分や妹の着るものを、手編みや鉤針で編むようになったそうです。

高校を卒業後、好きな手編みや鉤針を生かせる仕事を探して、

勤めたのが名古屋松坂屋でした。

ただ、配属された先が秘書課だった為、母はとても残念だったと、言ってました。

その数年後に、父と出会い結婚したのと同時に辞める事になりました。

(当時は、結婚すると専業主婦になる人が、ほとんどだからと言っており、

母は、仕事を続けたかったんではないかと思いました。)

その後、3人の子供たちを授かり(私は末っ子として生まれ)、

その育児の合間にも、好きだった手編みや鉤針を編んでいたようです。

当時の写真をみると、母が編んだ物を着て、写っているのが多くあります。

写真をみると、母の愛情を、今でも感じる事ができます。

そして、子育ても終わり自分の時間を、自由に過ごせるときになった頃、

残念ながら癌におかされている事が、わかりました。

以降、手術を2度も受けていた頃でも、好きな手編みや鍵針はやめず、

自分の被る帽子などを、ベットの上で編んでいました。

その後、回復の見込みがない事を、母も悟ったのか治療を優先せず、

本人の希望を、できる限り優先した施設に移りました。

週末には、家族と外泊をする事もあり,

その際に毛糸を、買いに行っていた事もありました。

その時、一緒に連れて行った我が家の愛犬を、

とても気にいってくれて、こんな物を鍵針で編んでくれていました。

(耳の毛が長い犬が、ご飯を食べる時に耳が汚れない様に、

着けるスヌードという物です。)

↓  ↓  ↓ IMG_0507

 

もう5年前になりますが、手洗いをする等して、今も大切に毎日使い続けています。

↓  ↓  ↓

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どんなに著名なブランドでもなく、母が作ってくれたというだけですが

私には、一生の思い出になるスヌードに、なるんだと思います。

最後に

母が、もし今も生きていたら、77歳=喜寿を迎える歳になります。

母から、直接の言葉は聞けませんが、喜寿になったら着るんだろうな〜という、

手編みのニットを、母の誕生日(10月8日)に、用意してあげようと思います。

それと、今週末には妻と愛犬と一緒に、

命日を偲んで御墓参りにも行ってくるようにしたいです。

今回は、亡くなった母の思い出話しで、少し湿っぽくもなってしまいましたが、

手編みや鍵針の、大好きだった母の事を、皆さまにお話できて良かったです。

それでは次回また。

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中谷 恒夫

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記事を書いた人

1970年11月30日生まれの いて座
プライベートの時間は 愛犬のクリーム(キャバリア)と一緒に過ごしています

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